日本をイメージさせる象徴として富士山があります。
この富士山。
多くが、葛飾北斎や広重の浮世絵から、多くが日本をイメージさせるものとして連想しますが、実は問題があり、北斎は確かに印象派のゴッホをはじめ、多くの画家に影響を与えましたが、北斎自身が日本の象徴は富士山であり、富士山の絵が一番であるという事を伝えた事はありません。
確かに、この流れは正しく、北斎は日本代表の絵師ではなく、幕府の御用絵師でもない。また、当時は日本国というのは江戸幕府でありますので、もともと、今の日本という価値観は、明治維新からのものであります。
よって、多くの人が勘違いしている、富士山のイメージは北斎が作り上げたというのが間違いであり、富士山自体を日本の象徴とした人がいるからこそ、過去の絵師で、海外から非常に評価が高い人として北斎や広重の浮世絵が評価されております。
では、いったい誰がいつ「日本の象徴は富士山である絵」というコンセプトを伝えたのでしょうか?
横山大観という人と富士山
この流れでご紹介するのが横山大観であります。
現在、皇居近くで横山大観展が開催されておりますが、終戦近くからGHQが占領し続けた時代、大観が多く描いたのが富士山です。
大観は、明治元年に生まれた方で、岡倉天心の一番弟子の日本画家。
富士山ばかりを描いていたのは晩年であり、自由な気風と、海外に日本の良さを企画し、海外の展覧会まで運営した人であり、日本人初の文化勲章をもらった方でもあります。
この大観は、水戸生まれであり、尊皇攘夷の両親から受けついた「天皇大好き」なんです。
大観は明治元年生まれでありますので、日清・日露戦争も、そして大正、昭和時代もあり、太平洋戦争時も日本画を描いていました。
このため、多くの個人や会社からも依頼がありますが、その中で皇居御所からの依頼もあります。
ローマでの展覧会に出品したのが、こちらの富士山。
これが天皇から気に入られ、日本を代表する日本画家としてあります。
結果として、天皇御所からの依頼が成功した結果、富士山を描く人といえば、横山大観というブランドが出来上がり、GHQの占領時、日本を象徴する富士山をイメージさせる絵として定着しました。
ローマの展覧会に富士山を描いた=それを見た天皇陛下が「富士山」を依頼=富士山といえば日本の象徴の絵のブランド
という方程式が出来上がったのです。
ここまで単純ではありませんが、非常に面白く、興味をひきつける話であります。
2018年5月18日